日記

イップスによる挫折。野球が嫌いになったとき。

こんにちは、アストピです。

5月28日は東京オリンピックのチケット応募最終日でしたね!

みなさんは応募しましたか?

各種目、倍率がどの程度なっているのか気になりますね!

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今回は前回お話させていただいたように、小学生時代まで順調に野球を続けてきた私が、突如陥ったイップスについてお話させていただこうと思います。

 

まず私は中学に入学した時点で、学校の野球部に入部するか、クラブチームで野球を続けるかの選択を迫られました。

元々所属していた小学時代のクラブチームが前年に中学部を創部していたためです。

クラブチームの方は人数が10人前後、活動日が週3日程度(土日+平日どれか)に対し、中学の野球部は部員30人以上、活動日が基本的に毎日ということで、好きな野球を毎日でき、安定的に試合が行える野球部に入部しました。

 

野球部には新しく赴任してきた顧問がおり、中学野球では有名な監督でした。

厳しくもチームを勝利に導く指導法がいったいどのようなものなのかわくわくしながら入部したのを今でも覚えています。

最後の大会のベンチ入りは3年生のみ(20人いたため)という部の方針の中、入学当初から全体練習に参加させていただき、新チームでの活躍を期待されていました。

 

そして3年生最後の大会敗退後、いざ新チームがスタートしました。

がしかし、ここで大きな挫折を味わうのでした。

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私は監督からフォームの変更を求められました。

テイクバックが大きかったのでそこをコンパクトに、そして腕をもっと肘から上げるようにと。。。

新投球フォームを習得しようと必死に練習しましたが、私には全くなじみませんでした。

今まで意識したことないところを意識し、変な力の入れ方をしていたためです。

 

そして、私は今までの投げ方もわからなくなりました。

生まれてからずっと腕の上げ方など意識せず自然と投げられていたにも関わらず。。

ボールを取ってすぐ肩の位置にテイクバックを取って投げる、野手投げでさえもうまくできなくなりました。

完全にイップスでした。

 

結局私はその後も野球を続けましたが、中学3年間で投手としてマウンドに上がることはありませんでした。

4番ショートとして試合に出続けましたが、ショートとして致命的に送球難。

どこへ飛んでいくかわからないというより、うまく腕が振れない、体が使えないという状態でした。

 

高校の進路を考えている際、打撃を評価していただき、いくつかの高校から推薦をいただきましたが、思うようにボールを投げられない私は野球を続けられる精神状態ではありませんでした。

 

監督としては私をいい選手にするために良かれと思ってフォーム変更を指導したのだと思います。

しかし私には逆効果。

その指導さえなければ・・・。

私は監督を恨みました。

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